華原朋美華原朋美と小室哲哉はなぜ破局したのでしょうか。
この二人は90年台の音楽業界を語る上では欠くことが出来ない人でしょう。
両人ともヒット曲は数多くありますし、話題という事でも色々なスキャンダルがありました。
華原朋美の曲プロデュースを小室哲哉がしているということもあり二人は付き合っていました。
ですが突然破局報道が出てその華原は薬物問題が浮上して沈んでしまったという印象を
思っている人がいるでしょう。今回は二人の破局の原因について語っていきたいと思います。

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【別れた原因】

FNS歌謡祭で歌を披露する小室哲哉と華原朋美そもそも二人の出会いは華原朋美は1993-1995年まで意外かもしれませんが
グラビアアイドルとして活動をしていました。
華原と言えば歌手一本できたと思っている人がいますが最初はグラビアアイドルが出発点のようです。
ちなみに芸名ですが「三浦 彩香」1994年からは「遠峯 ありさ」で芸能活動をしていました。

その当時フジテレビで放送されていた「天使のU・B・U・G」に出演していた華原朋美を
見て才能を感じ小室氏はプロデュースする意思を伝えたようです。
ちなみにこの番組は売れていないアイドルを出演させ、
ゲーム企画に挑むという深夜番組だったようです。

そして華原はプロデュースをされている関係上親密になり交際がスタートしたと言われます。
マスコミにスクープされた時アーティストに手を出したと言われた時
「恋人に曲を書いてデビューさせただけ」と言い名言を残しています。
これを見ると下心アリアリで接近し、プロデュースしたと思われても仕方ないでしょう。
才能を見出しプロデュースしたかと思いきや好みの顔だからプロデュースしたら
大当たりしたと思われても仕方のないことでしょう。

華原朋美という芸名も小室氏が名づけられたらしいです。T・Kというイニシャルになるよう
朋美 華原と名付けたようです。今から思い返してみれば納得の芸名だと思います。

華原は元々女優志望が強かったですが小室氏はその歌声を聴いた時涙を流し
「涙腺を刺激する歌声」と言いデビューさせたという逸話があります。
歌姫の誕生はこういうエピソードが定番だと思います。
これはダイヤの原石を砂漠の中から発見したような感覚ではないでしょうか。
ダイヤとなれる原石を発見するのに探知機もあるはずもなく、己の感性に身を委ねるしかないので。

華原はデビューさせる時別段歌に関するトレーニングを積ませたという事実はないようです。
普通グラビアアイドルから歌手に転向するという時は
まずボイストレーニングを受けさせるのが普通です。
歌手に関しては素人同然なのでこれが普通と考えられています。
ですが華原に至ってはその必要がなかったのでしょう。
その元からあるものを歌声にしたかったというのが小室氏の本音ではないでしょうか。
ですが華原は高校時代中山美穂に憧れて毎日のようにカラオケに通っていたようで
恐らくそのカラオケでボイストレーニングと同等の効果が得られたのではと思います。

本題の破局原因はといいますと二人の温度差が原因ではないかという点が合っていると言われています。
小室氏は自由な感じなのに比べ華原は小室氏にべったりと
いつまでも離れたくないといった感じで温度差が現れ、破局となったのではというのが有力です。
つまり華原が熱くなればなるほど小室氏は熱せられることなく逆に冷めてしまったという事です。
その華原のグイグイ感が鬱陶しくなり破局に繋がったのではと考えられます。
小室氏はそれほど引きずってはいませんでしたが、
ゾッコンだった華原はそのショックがあまりにも大きすぎてその後芸能活動に支障が出てしまい
活動を停止せざる負えなくなったと考えられます。
華原は恋愛に関してはのめり込むと周りが見えなくなってしまい、
突き進むのみで喪失したらその空虚感を埋める何かを見つけるまで停止状態となるようです。

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【その後の華原】

小室氏に代わるものを探し薬に手を染めてしまいます。
有名なもので自宅でのガス中毒騒ぎを覚えているでしょうか。
その10年後には大量の精神安定剤を服用で救急車で搬送という
ここまで引きずるまで追い詰められていたということでしょう。
失恋後2年は引きずるのはあってもこうも10年近く引きずるのは異常だと思います。

当時を華原は振り返り、すべてが小室氏に捧げていたためそれを失ったら
自分がどう生きたらいいのか分からなくなり色々なことをしてしまったらしいです。
小室氏がプロデュースした曲を聴くのもつらかったようです。
聞けば小室氏を思い出してしまうからなるべく触れないよう考えないようにしていたようですが
頭では理解してもそうそう忘れられるわけでもなく薬に手をだし忘れようとしたのでしょう。

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